週刊少年ジャンプ25号ニセコイ感想等

今回ちょっと「違う、そうじゃない!」と感じたことをツラツラと書かせてもらいます。

ジャンプ25号に連載されたニセコイの感想です。一か月近く前の連載をとりあげて今更という感じもありますが、紹介させていただきますね。

今回とりあげるのはニセコイ122話「メンダン」です。どんなお話かというと、

副担任視点でヒロインたちの三者面談が描かれ、最後は面談を終えた主人公とヒロイン達がばったり出くわして、ドタバタ痴話喧嘩に発展するオチ(男の副担任はため息をついて羨やんで終わり)」というものです。

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。。。将来の夢について語るヒロインたちのかわいい描写もありますが、僕から言いたいのはただ一言。

「男の読者の気持ちが分かってない!」

だけです。もっと具体的に言うとですね…。

「こうやってたまたま焦点が当たった『副担任』という脇役にこそ、”ささやかな非日常”もしくはその予兆(例えば実は副担任に憧れているモブの女子生徒が一人いたとか)を与えてあげないと、男の読者は救われない!カタルシスが無い!」

という事です。

だって少年誌じゃないですか!

世間一般的な男は、”複数のヒロインにモテる楽”と、”しがない副担任”のどちらにシンパシーを感じるでしょうか。僕の場合は断然後者ですよ。正直モテる主人公がどうなろうと知ったこっちゃないです。

今回話の一人称に据えた副担任はニセコイを読む男読者にとって、普段の主人公である楽よりも感情移入しやすい対象だと思います。持たざる者ですから。その彼が、いくら大人キャラでも主人公のことを羨ましく思って終わり…じゃアカンのですよ。アカンのです。

…という涙の訴えです。

 

もう少し話を広げると、矢吹神の言葉の意味を勘違いしてらっしゃるんじゃないかと思うんですよ。

矢吹神の言葉とは?と疑問に思う人もいるかもしれませんから、外部リンクですが紹介します。
矢吹健太朗先生インタビュー 「ラッキースケベは主人公だけに許された特権です」(ToLOVEる☆LOVEより)

お色気シーンでいい思いをするのは主人公だけにさせたいということを矢吹先生がおっしゃっているのですが、僕もこれに賛成です。ヒロインの女の子たちのラッキースケベで良い思いをするのは自分だけであってほしい、これは男として当然の感情だと思います。

武富健治_鈴木先生④_1_1_2

武富健治_鈴木先生④_1_2_2

↑鈴木先生の4巻より紹介させていただきます。

 

ただ、ただ一つ注釈をつけさせてください。それはヒロイン候補以外の(モブの)女の子が他の男キャラとくっついても特に何も感じないけどね。ということです。上の例で勝手にモブ新キャラ(その話かぎり)を登場させてはいかがでしょうかと提案したのもそういう理由です。

 

ご都合主義でも結構じゃないですか!物語なのですから!
哀れなDOUTEIに魂の救済を…。

 

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