漫画雑感想(『Dream My Name』、『鬼』)

もう6月なので、定例の「Seven Days in Sunny June」です。Jamiroquaiはいつ聴いてもカッコいい。

 

さてさて、

「見てるか谷沢……お前を超える逸材がここにいるのだ……!! それも……2人も同時にだ」

と安西先生も唸りたくなるような作品との出会いに、ついつい感想を書かずにはいられませんでした。

今回は、

  1. Dream My Name』 (作:土屋裕友花さん、「第5回ちゃお小学生・中学生グランプリ」の小学生グランプリ受賞作
  2. 』 (作:浄土るる、「第84回 新人コミック大賞<青年部門>佳作受賞作」

という見事に対極な二つの力作の感想を書きたいと思います。感想前の余談ですが、この二つを見て第百三十回芥川賞をダブル受賞した『蹴りたい背中』・『蛇にピアス』の二作品をなんとなく思い出しました。

1.『Dream My Name』 作:土屋裕友花さん

この作品は「佐藤夢綿飴(ドリームコットンキャンディ)」という、いわゆるキラキラネームの女の子が、同じく名前に対して劣等感を持つ幸輝ちゃんという女の子に出会うお話です。

小学生とは思えない構成力と完成度、何より「漫画として面白い!」などなど褒める言葉が尽きないのですが、特に素晴らしいのはこの作品からにじみ出る愛情だと思います。その愛情を三つほど、すくいあげてみてみましょう。お日様にかざすとキラキラしますよ。

[愛情その1]
まず「夢綿飴(ドリームコットンキャンディ)」という名前を気にする主人公ですが、友達からは「わたあめ」という愛称で呼ばれています。…ね?この時点でもう作者(と作者の周りの方達)の愛がにじみ出ているでしょ?

キラキラネームを気にする主人公ですが、それを意地悪く言う友達はこの作品には出てきません。

もしかしたら、…本当にもしかしたら、仮定の話ですが、このお話が土屋裕友花さんの身近に実際に起こったことをモデルに描かれたとします。もしそうだった場合、自分の名前を嫌いな理由が「過去にからわかわれたことがあるから」という可能性も十分あり得ます。

(仮定の話なので掘り下げても仕方ありませんが)だとしても土屋さんは、「キラキラネームで苦しむ姿」よりも「キラキラネームを好きになってもらうために行動する姿」を作品に描こうとした、もしそうだとしたらなんとも素晴らしいことではありませんか。これこそまさに人間賛歌だと思います。

[愛情その2]
この作品のクライマックスでは、夢綿飴ちゃんが幸輝ちゃんに「夢綿飴ちゃんが思う幸輝ちゃんの名前のいいとこ」を原稿用紙に書いて渡します。

これが凄い。何が凄いかというと、「自分の言葉で好きを伝えようとする」のが凄いんです。これこそ真心だと私は思います。

その原稿用紙には、名付け親である幸輝ちゃんのおばあちゃんが話してくれた名前の由来も書かれてあるのですが、もしそれだけで「自分の名前を好きになってほしい」と言われても、押しつけの善意だけで終わっていたでしょう。

[愛情その3]
この作品の素晴らしいことは「自分を好きで良いんだよ!間違っていないんだよ!」というメッセージ性がある点です。小・中学生は、自分の容姿や成績に対して劣等感を持つことがある一方で、自分自身を好きでいる(のが周りにばれてしまう)ことも極端に恐れてしまうシャイな年頃です。何より夢綿飴ちゃんが幸輝ちゃんに対して幸輝ちゃんの名前の良さを伝えようとしたきっかけも、

「私 もしかして 自分の名前好きなのかもしれない」

という自覚がきっかけです。

何度も言いますが、本当に素晴らしい作品です。「読むと元気になる」を体現するかのような漫画です。

ただし一点だけ、私はこの作品からにじみ出る愛情を褒めちぎりましたが、土屋裕友花さんの人柄を褒めたわけではありません。あくまで褒めているのは土屋さんのクリエイターとしての感性です。私は決して土屋さんがお花畑に囲まれて育ったとは思いません。

どんなに愛情に囲まれて育っても、人間10年以上も生きていれば、人の悪意に触れることなど多いにあるでしょう。しかしそれでもなお、自分を好きになること、人に好きを伝えることの素晴らしさを伝えるために漫画を描いて世に送り出した、その建設的な、崇高な魂を私は尊敬いたします。

2.『』 作:浄土るる

この作品は幼き妹とともに母親から虐待を受ける小学生「江田小豆」が、転校早々にいじめられる転校生のポンポコと心を通わせようとする物語です。

辛い話を読むのがキツい人にはお勧めしない漫画です。

…以下ネタバレ注意です。

 

 

 

あらすじだけでもおどろおどろしいですが、タイトルの通り鬼のような現実が突き付けられ、その衝撃性ゆえにSNSでとても話題になっております。

 

私も初めて読んだとき、虫かごの中で虫の足がもがれていくのを眺めるような、不気味な印象を受けました。『Dream My Name』にあったような「心の通じ合い」はこの作品に存在しません。あるのは弱さ、悪意、拒絶、この三つです。そして何より凄いのが、この作品も17歳という若い方が描かれたということです。

SNSの感想を見ても話題に上がっていますが、この漫画を読んで「この作品は作者の体験談なのか?」と疑問に思った人は多いのではないでしょうか。

私の個人的な感想(もといただの勘)を言いますと、全部が実体験ではないが何かしら本人、またはごく身近な人間の体験が描写に混じっている気はします。それくらい悪意の描写に説得力がありました。(虐待(ネグレクト)かいじめかは分かりませんが)

…が、しかし実体験かどうか、の話はこれでおしまいです。この話をこれ以上深掘りするのは、宇多田ヒカルに「その歌詞は実体験なんですか?」と聞くような無粋なことだと思います。それに正解を確かめようがない以上は議論しても無益です。 (欲を言うならば、友人のネグレクトを間近で見ている山本さほさんの感想が欲しいですね)

それにこの漫画はエッセイではありません。

ならば読み手は、クリエイターとして浄土るるさんが発信した作品への感想を書くべきでしょう。 私はこの『鬼』に対して、賞賛すべき点を一つ、批判を一つ述べたいと思います。

[賞賛すべき点]
私がこの作品を読んで凄いと思ったのは、浄土るるさんが、人の「悪意」を描くことができる作家だということです。これは大事な才能だと思います。

私は悪を描ける作家が大好きです。
特に好きな作家が
「島袋光年」(代表作:『世紀末リーダー伝たけし!』、『トリコ』)と、
「羽海野チカ」(代表作:『ハチミツとクローバー』、『3月のライオン』)

の二人です。意外に思われる人も多いかもしれませんが、この二人が描く”悪”はエグい。

”悪”と聞いて山本英夫新井英樹などを想像する方もいるかもしれませんが、私の思う悪とは、コインの表裏としての悪であり、明るい作品を一瞬にして暗転させる破壊力のある悪です。

浄土るるさんの漫画も畳み掛けるような悪意でこれだけ多くの読者の心を鷲掴みにしたのですから、”悪”を描くことができる作家として活躍されることを期待しております。

また陰鬱な展開と残酷な結末ばかりが話題になっておりますが、この漫画にも小豆ちゃんが、母親に虐待を受けながらもそれでも妹をかばおうとしたり、転校生のいじめを止めようとしたりする美しい心が散りばめられています。(結果として報われませんでしたが…)

つまり報われる結末になることもさじ加減一つで出来たはずなのですよ。説得力のある悪意を描ける人なら、説得力のある救いも描けるだろうと思います。(それこそ上の『Dream My Name』を描いた土屋さんのように。)

 

[批判点(応援したい点)]

この漫画に対して、審査員の太田垣康夫先生

”しかし、読者に向かって「この世界はクソだ」と伝えて溜飲を下げているとしたら、その作者の心情を私は否定する。”

と述べられておりますが、私もこの作品にはそのような側面が、残酷なお人形遊びを見せびらかすような幼稚さがあると思っております。

しかしこの太田垣先生のコメントは素晴らしいですよね。「この世界はクソだ」と発信することを否定するのではなく、この世界はクソじゃないんだよと作者にエールを送っているのが凄い。

また「物語としての面白さを追求するなら」という側面でさらに感想を付け加えると、加虐には際限がない、歯止めが効かないから、悪意と救いはやはり両輪であるべきだと私は思います。(こればかりは個人的な好みですね)

また人間は案外、残酷な物語を簡単に消費できてしまうものです。言い換えれば「一定の需要がある」ということでもありますが、もしまた浄土るるさんが『鬼』のような救いの無い話を描かれても、恐らくあまり話題にはならないでしょう。そうなったときに(コアなファンとともに)同じ道を進み続けるか、更なる残酷を追求するか、別の道を追求するか、クリエイターとしての岐路に立たされることになると思います。

だからこそ浄土るるさんには一度でいいから、王道漫画を描いてほしいなと思います。
(個人的に、王道のカタルシス(人としての尊厳)を描くには、「この世界はクソだ」と世界を呪った経験と、かつ人間の本質が獣であるということに対する悟りが不可欠だと思っております。そして絶望は深ければ深いほど良い。)

何はともあれ、次回作が楽しみですね。


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